市ケ谷の地下散歩 [東京散策]
JR市ケ谷駅付近の空を飛んでいます。
外堀を横切る市ヶ谷橋の左にはフィッシュセンターの釣り堀が見えます。
橋の下にはJR市ケ谷駅のホームがあります。
橋を渡って左折する広い通りが靖国通りです。
橋を渡って左折する広い通りが靖国通りです。
JRはホームが一面だけで、中央緩行線のみが停車する駅です。
JRだけでは一日の乗車人員は6万人程度なのですが、地下には三本の地下鉄が通っており、
市ヶ谷全体での乗降客は相当な人数になると思われます。
靖国通の下を走ってきた都営新宿線は、写真中央部の外堀の下を横断し神田方面に向かっています。
外堀の真下には有楽町線が通っています。
外堀の真下には有楽町線が通っています。
そして、外堀の手前、外堀通の地下は南北線です。
夫々の路線の市ヶ谷駅のホームとそれらを繋ぐ連絡通路からなる一大地下空間が、水を湛えた外堀の下に広がっているのです。
それでは、地下へ潜ってみましょう。
南北線のホームに向かうコンコースを歩いていると、突然、石垣が現れます。
南北線の工事の際に見つかった江戸城の遺構を使って再現されたものだそうです。
打ち込みハギという技法を使った石積みで再現されています。
横にまわると、石積みと土塁の間を埋める栗石の状態が見られます。
江戸城の石垣は主に、真鶴や東伊豆の山で切り出されました。
真鶴の小松山の安山岩が良質とされ、小松石と呼ばれます。
そういえば以前訪れた芝離宮の庭園でも小松石を見かけたような気がします。
元は小田原藩大久保家により造られた庭園ですから真鶴の小松石があってもおかしくはないと思います。
言うまでもありませんが、全て人力です。
石垣の石は、相模湾を経由して江戸湾へ、舟で運ばれました。
コロ曳きを行っていることが分かります。
重量物の移動の原理はいまも、昔も同じですね。
牽引の動力が人力か、機械によるものかの違いだけです。
町中を曳くようすです。
切り石の上で、太鼓や法螺で景気付けを行っていますが、こんなに何人も乗っては引く人が大変になるのでは、
と、この手の絵を見るたびにいつも思うのですが。
ようやく、現場に到着、石積みの作業となります。
既設構造物を支えにして足場を設置する吊り足場と同じ発想の足場の組み方が面白いと感じました。
あいかわらず人海戦術で作業を行っていますが、工事の原理は江戸時代も、今も変わらないところが面白いです。
石垣に彫られた刻印は切り出しや石積みを行った藩や石工を示す合印です。
これだけ人手を掛ければ、合印など彫り付けて自己主張したくなる気持ちも分かります。
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