春駒(鹿児島その2) [お菓子]
島津家の別邸、磯庭園には彼岸花が咲いていました。
秋を感じさせます。
彼岸花は、別名を曼珠沙華(まんじゅしゃげ)といいます。
サンスクリット語で「天界に咲く花」、「見る者の心を柔軟にする」という意味です。
まんじゅしゃげ、まんじゅしゃげ、まんじゅしゃげ・・・と唱えていると、
柔軟な心には、まんじゅうの姿が見えてきました。
ということで、鹿児島のお菓子をひとつ、ふたつ紹介します。
鹿児島のお菓子といえば「かるかん」が有名ですが、あえて紹介しますのはこの春駒です。
薩摩藩槍術指南、高橋種美が文政3年に携行食料として考案したという餅菓子です。
もち粉、うるち粉、黒糖を練り上げ、棒状にして蒸したもので、硬めのういろうという印象のお菓子です。
当時は直径5センチ程度、長さ30センチもあり、その形状から「馬んまら」と呼ばれました。
今は「春駒」という名で呼ばれています。
「馬んまら」が「春駒」に代わったいきさつについては、以下のようなエピソードが伝えられています。
大正天皇が鹿児島に行幸された時、「馬んまら」が献上され、名前を問われ返答に窮したが、同行した知事がとっさに「春駒」と答え、以後春駒の名称が使われるようになった。
また、
明治天皇が鹿児島行幸の折、この菓子の名を尋ねられ、島津久光公も大山知事も口にできず、とっさに侍従が「春駒」と答えたという説もあります。
このたびは、次のような説を新たに知りました。
『久光公、指宿に清遊の折、茶を喫し、この菓子が出された。久光は、この菓子は美味しいが、名前が悪い。婦女の前では慎むべきだ。今後、春駒と唱えるべしと言われた。春駒の名称の起源である。』(昭和8年6月3日「鹿児島新聞」)
この説に信憑性を感じます。
天皇に、こんな剣呑な名前のお菓子を献上したとは考えられません。
久光公説に軍配があがりそうです。
久光公説に軍配があがりそうです。
写真は磯の別邸の正門です。
次は、「げたんは」です。
小麦粉に黒糖を混ぜた生地を板状にのばして焼いた駄菓子です。
その形状が下駄の歯に似ているところから鹿児島弁で「げたんは」と言います。
「馬んまら」にしろ、「げたんは」にしろ、即物的な名前の付け方が、いかにも薩摩っぽらしく、可笑しみを感じました。
南海堂の「げたんは」は、岸朝子の「全国五つ星の手みやげ」にも紹介されています。
『口に入れた途端に甘みが広がり、同時に黒糖の濃厚かつ複雑な旨みに驚かされる。』
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