七夕祭り(阿佐ヶ谷) [東京散策]
日中は、陽射しが強いので、夕暮れから歩いています。
阿佐ヶ谷の七夕祭りに出掛けました。
アーケード街となっている阿佐ヶ谷パールセンターの商店街が会場となっています。
人混みの中を縫うように歩き、七夕飾りを見物してきました。
阿佐ヶ谷の七夕祭りは、商店街の振興策の一貫として仙台の七夕祭りにヒントを得て始ったそうです。
昭和27年からと言いますから、半世紀以上続いているお祭りです。
今や、高円寺の阿波踊りとならんで、中央線二大夏祭りと呼ばれているそうです。
しかし、ふたつとも他所の祭りの移殖というところが、中央線沿線の発展の歴史を物語るようで面白いですね。
各商店が工夫を凝らす七夕飾りの中で、この金魚の飾りが気に入りました。
夏らしい季節感があり、涼しさも感じました。
中央線の阿佐ヶ谷駅が出来たのは、大正11年のことです。
中央線の前身である、万世橋から八王子を結ぶ甲武鉄道が開通したのが明治39年ですから、阿佐ヶ谷駅開設は随分あとのことになります。
駅誘致の陳情が繰り返されましたが、「狐や狸の住んでいるところに駅をつくるのは無理な話だ。・・・と一蹴された。」(「荻窪風土記」井伏鱒二)そうです。
駅誘致の陳情が繰り返されましたが、「狐や狸の住んでいるところに駅をつくるのは無理な話だ。・・・と一蹴された。」(「荻窪風土記」井伏鱒二)そうです。
阿佐ヶ谷は関東大震災以後、人の流入が進むという中央線沿線の各駅と同様の経過を辿りました。
そして太平洋戦争の戦災に伴い、戦後さらに人口増加が進みます。
映画「黄色い涙」は長島慎二の漫画「若者たち」が原作となっていますが、1960年代の阿佐ヶ谷駅界隈が出てきます。
そして太平洋戦争の戦災に伴い、戦後さらに人口増加が進みます。
映画「黄色い涙」は長島慎二の漫画「若者たち」が原作となっていますが、1960年代の阿佐ヶ谷駅界隈が出てきます。
映画では、木造平屋の駅舎がセットで再現されていました。
60年代から70年代までは地方から上京した若者たちの熱気で溢れる地域であったように思います。
60年代から70年代までは地方から上京した若者たちの熱気で溢れる地域であったように思います。
高円寺にしろ 阿佐ヶ谷にしろ町のお祭りが、商店街の主導で始まり、他所の借り物であることも、街の歴史から頷けるところです。
しかし年を重ね、すっかり地元に根付いたお祭りとなっていることを感じました。
細い道がカーブしながら延々と続くパールセンター商店街は、鎌倉古道の跡であり、
秋田名物ババヘラアイスののぼりを見つけました。
街道沿いでおばさんが露店販売しているアイスです。
街道沿いでおばさんが露店販売しているアイスです。
秋田の夏の風物詩です。
細い道がカーブしながら延々と続くパールセンター商店街は、鎌倉古道の跡であり、
また江戸時代は練馬の子聖大権現と堀ノ内の妙法寺を結ぶ権現みちとよばれた参詣道でした。
雑木林が続く道すじであったそうです。
ババヘラアイスが出現しても違和感はありません。
雑木林が続く道すじであったそうです。
ババヘラアイスが出現しても違和感はありません。
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