富山へ [只今出張中]
富山は、昭和20年8月1日の深夜から2日未明にかけて、B29、174機による空襲を受けています。
市内のほぼ100%を焼失するという被害を受けたそうです。
富山の戦後は戦災の復興から始まったのです。
富山の戦後は戦災の復興から始まったのです。
そして復興作業にあたる労働者の食事、
ドカベンのおかずとなるような濃い味のラーメンが考案されました。
富山ブラックの始まりです。
発祥の店、西町大喜の創業は昭和22年です。
富山での最初の食事は、大喜のラーメンとなりました。
富山での最初の食事は、大喜のラーメンとなりました。
その味は、やはり白いご飯がないと食べ進められないような濃さでした。
いきなり、夜です。
夜は日本海の魚を堪能しました。
出世魚のブリも見えます。
出世魚のブリも見えます。
北陸では、ふくらぎ→がんど(はまち)→中ブリ→大ブリと呼ぶそうです。
地酒の立山を口に含みながら、箸が進みます。
地酒の立山を口に含みながら、箸が進みます。
ああ、この間もちろん仕事してますよ。
早朝の散歩をしています。
路面電車が通勤、通学の足となっています。
駅前の電車の混雑ぐあいからも実感できました。
やっぱり、これからの都市の交通機関として見直すべきですね。
私は地下鉄は大嫌いです。
お金だけ取って、窓からの景色も楽しませてくれない交通機関なんて最低です。
私は地下鉄は大嫌いです。
お金だけ取って、窓からの景色も楽しませてくれない交通機関なんて最低です。
たまたま乗った電車は、女性の運転手でした。
もっと近寄ってみたくなるではありませんか。
・・・運転の支障にならないように、注意はしますが。
・・・運転の支障にならないように、注意はしますが。
ね、かっこいいでしょう。
むくつけき男の運転士より、女性の運転士が似合う車両ではありませんか。
これだけで、富山はよい街だと思ってしまいます。
食べ物も旨いし。
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