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武蔵国分寺 [東京散策]

国分寺 020.jpg
武蔵国分寺跡です。
国分寺市は江戸の範疇に入るのか、よく分かりませんが、
斉藤月岑の江戸名所図会にも取り上げられていますので、
カテゴリー「東京散策」で綴ってみます。

国分寺は、1333年、新田義貞君と北條さんの戦乱で焼失していますので、
今はこんな感じの原っぱです。
来てみて、二つのことを発見しました。
いや、大した事ではないのですが。
 
国分寺 007.jpg
国分寺は、武蔵野崖線を背にして建てられていたということです。
西国分寺駅から国分寺跡を目指すと、途中、道は下り坂になります。
ずいぶんな下り坂でした。
下から自転車で登ってきた子供が、ふうふう云って、通り過ぎて行きました。

写真は今の国分寺の本堂です。
背景の木々は国分寺崖線を覆う樹木です。
 
国分寺 067.jpg
国分寺崖線は、多摩川の流れがつくった武蔵野台地の河岸段丘です。
段丘の崖下から地中を流れる水が湧き出て、これを地元ではハケと呼びます。
ハケについては大岡昇平の小説「武蔵野夫人」で知られるようになりました。
写真はハケの湧水です。
澄んだ水が涼しげですね。

国分寺 042.jpg
武蔵国分寺跡の復元模型です。
左手に見える丹塗りの柱の建物が国分寺です。
右手の森が、武蔵野崖線にあたります。
古代人はハケの湧水を飲み水としたでしょうし、
流れは農耕に使用され、集落を形成したでしょう。
その延長線上に国分寺の造営があるのかもしれません。
これが、発見のその一です。
「ああ、そういう立地なのですね。」ということです。

国分寺 058.jpg
ここらへん、ハケからの流れ沿いが、お鷹の道として整備されています。
適当に木陰があり、散策によい環境となっていました。

 
国分寺 060.jpg
流れを堰き止めた中に、野菜が浮かんでいるのも涼しげでした。
次は、国分寺から小金井への野川を歩いて、武蔵野夫人などを偲んでみたいと思います。

もう一つの発見って何かって。
そうそう、もう一つは、
府中刑務所が近くなのです。
あの三億円事件の現場は府中刑務所裏の通りでした。
国分寺跡から南へ約800mの至近距離です。
そういえば、犯人が乗り捨てた現金輸送車が発見されたのは、
国分寺七重塔跡の傍でしたね。 


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