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登ったり、降りたり・・・神楽坂 [東京散策]

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神楽坂、坂の名としては気に入っている名前です。
音のイメージが、名前につながっているのは、珍しいと思いませんか。
御神楽の音が聞こえそうで、気分が浮き立つ坂の光景が心に浮かびます。
そして、この坂は文学作品にも登場します。

近くで生まれた漱石も、いくつかの作品に神楽坂界隈を登場させています。

「それから、神楽坂の毘沙門の縁日で八寸ばかりの鯉を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったが、これは今考えても惜しいと云ったら、赤シャツは顎を前のほうへ突き出してホホホホと笑った。」
坊ちゃんが松山に赴任して当初、赤シャツに釣りに誘われる場面です。
今、私は神楽坂の毘沙門天の前にいます。

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坂の途中で見かけた、広重の「牛込神楽坂の図」です。
坂が外堀に向かって下がり、坂の底辺で外堀を越え、牛込御門に向って、また登る、今に続く地形を見事に描いています。
道脇に並ぶ店には、商家を表す暖簾が風を孕んで膨らみ、屋台には串団子らしき看板を書き込んでいます。
今も変わらないかもしれません。
いや現在の、休日の神楽坂も人通りの多さは、この絵以上でした。
 
神楽坂 029.jpg 

広重の絵の左手には白壁の武家屋敷が並び、右手は町屋となっています。
江戸切絵図を眺めると「本多修理」等と武家の名前を記載した武家地となっていました。
江戸の安政期には、ここらに在った行元寺と武家地の路地に遊行の地ができたそうです。
神楽坂の花街の始まりです。
先程の毘沙門天参詣人などもあり賑わったでしょう。
明治に入ると、武家地も花街に取り込まれ、花街は広がります。
文人も神楽坂に集います。

路地で見かけた料理屋です。
「め乃惣」との看板を見て、思わず足を停めてしまいました。
泉鏡花の「婦系図」に出てくる、魚屋「め組の惣助」
何か関係があるのだろうか。
そういえば鏡花も神楽坂に住んだ作家です。
 

神楽坂 013.jpg
 
居酒屋の有名店、伊勢籐(いせとう)です。
路地を歩いていて、「あぁ、こんなところにあったのか」と縄のれんの前に佇みました。
いずれは、来ようと思っている酒場です。

神楽坂 022.jpg

路地裏探検、行ったり来たりの散策をしました。
かくれんぼ横丁、芸者新道などの名前も面白い路地が入り組んでいます。
石畳の路地が、風景の基調になっています。

神楽坂 019.jpg

そして、そここに黒塀囲まれた建物も風景を特徴付けています。
黒塀といえば、粋筋の象徴ですね。

神楽坂 034.jpg

歩き疲れて、路地から神楽坂に表通りに出ます。

坂を下りて「紀の善」に立ち寄りました。

紀の善は、文久年代の創業。
時代は、近藤勇が、神楽坂と同じ牛込の道場「試衛館」を畳んで、京に上ったころです。
ただし、当時の業務は、甘味屋ではありませんでした。
口入屋(くちいれや)だったとそうです。
今で言う、人材派遣業でしょうか。

明治に到り、寿司屋に転業します。(大転換ですね)
「紀の善 花蝶寿司」と言ったそうです。
ずいぶんと華麗な名前ですが、口入屋当時の若い衆が皆、
花と蝶の入れ墨をしていたからとの話しも伝わっています。
何か汗臭い気がしますが、
北原白秋なども通ったそうですし、
早稲田の運動会には3000人分の弁当の仕出しをしたという記録もあるそうです。

甘味処となったのは戦後のことです。(寿司屋から甘味屋も大転換)
相変わらずの行列でしたので、お持ち帰りでお茶をにごし、「あんみつ」を買い求めました。
(外壁工事中でしたので、足場を養生シートに覆われた、お店の写真は省略)
 

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