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歌舞伎町の弁天さまを拝む [東京散策]

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高島屋へ買い物に出たついでに、歌舞伎町で時間つぶしをしています。
まだ、お昼前というのに、辻々に立つお兄さんたちが声をかけてきます。
「〇〇〇どうですか?」
ここら辺り「客引き、客待ち禁止」の看板があったりするのですが、全然無視されています。
・・・無法地帯です。

今回は「歌舞伎町で弁天さまを拝む」です。
けっこう、難しいテーマを選んでしまったものです。
まあ、心当たりが無いでもないですが。 
 
歌舞伎町 015.jpg
 
その前に、腹ごしらえです。
「にいむら」のロースかつランチです。

昭和36年創業といいますから、50年以上続いているお店です。
誰かがこの店のエッセイを書いていましたが、思い出せません。

うすめの衣はカラッと揚がりサクサクしています。
下ごしらえが丁寧にされているのか柔らかい肉です。
ご飯、キャベツがお代り自由というのも好感が持てました。
隣のお兄さんは、ご飯大盛りでお代りしていました。
私はキャベツをお代りしました。

さて、弁天さま参りに出かけます。

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尖塔を持つ煉瓦づくりの建物、王城ビルです。
昭和30年代から存在します。
営業内容は名曲喫茶、同伴喫茶、キャバクラと変遷し、今は、カラオケの看板がかかっていました。
ある本に「時代のニーズに応じて、何度も何度も生まれ変わる亡霊のようなビルなのだ。」と紹介されていました。
そのとおり、と思います。

その王城ビルの隣に、弁天さまがいらっしゃいました。 


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歌舞伎町弁財天。
歌舞伎町の弁天さまです。

由来書きに曰く。
昔、歌舞伎町あたりは沼であり、そのほとりに弁天様がありました。
沼は淀橋浄水場が造られた際の残土埋め立てられましたが、
弁天様は峰島家の手により、現在の場所にあらためて祀られれました。

「どうりで、この辺りは今でも、お水っぽいのだ。」と感心しながら、お参りしました。
 
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弁天さまの像の後ろには、 龍神の墨絵が大きく描かれています。
芝居の宣伝美術家、東學氏の作品と説明が有りました。
如何にも歌舞伎町らしく、傾いた(かぶいた)境内となっています。

境内入口の石柱に、「奉納尾張屋銀行」と寄進者の名が刻まれていました。
尾張屋銀行は、この地に弁天さまを祀った峰島家の経営する銀行でした。
昭和初期の金融恐慌で消滅した銀行のひとつです。

タイトルから、何か別の想像をしていませんでしたか?
 

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