歌舞伎町の弁天さまを拝む [東京散策]
高島屋へ買い物に出たついでに、歌舞伎町で時間つぶしをしています。
まだ、お昼前というのに、辻々に立つお兄さんたちが声をかけてきます。
「〇〇〇どうですか?」
まだ、お昼前というのに、辻々に立つお兄さんたちが声をかけてきます。
「〇〇〇どうですか?」
ここら辺り「客引き、客待ち禁止」の看板があったりするのですが、全然無視されています。
・・・無法地帯です。
今回は「歌舞伎町で弁天さまを拝む」です。
けっこう、難しいテーマを選んでしまったものです。
まあ、心当たりが無いでもないですが。
・・・無法地帯です。
今回は「歌舞伎町で弁天さまを拝む」です。
けっこう、難しいテーマを選んでしまったものです。
まあ、心当たりが無いでもないですが。
その前に、腹ごしらえです。
「にいむら」のロースかつランチです。
昭和36年創業といいますから、50年以上続いているお店です。
誰かがこの店のエッセイを書いていましたが、思い出せません。
うすめの衣はカラッと揚がりサクサクしています。
下ごしらえが丁寧にされているのか柔らかい肉です。
ご飯、キャベツがお代り自由というのも好感が持てました。
隣のお兄さんは、ご飯大盛りでお代りしていました。
私はキャベツをお代りしました。
さて、弁天さま参りに出かけます。
「にいむら」のロースかつランチです。
昭和36年創業といいますから、50年以上続いているお店です。
誰かがこの店のエッセイを書いていましたが、思い出せません。
うすめの衣はカラッと揚がりサクサクしています。
下ごしらえが丁寧にされているのか柔らかい肉です。
ご飯、キャベツがお代り自由というのも好感が持てました。
隣のお兄さんは、ご飯大盛りでお代りしていました。
私はキャベツをお代りしました。
さて、弁天さま参りに出かけます。
尖塔を持つ煉瓦づくりの建物、王城ビルです。
昭和30年代から存在します。
営業内容は名曲喫茶、同伴喫茶、キャバクラと変遷し、今は、カラオケの看板がかかっていました。
ある本に「時代のニーズに応じて、何度も何度も生まれ変わる亡霊のようなビルなのだ。」と紹介されていました。
そのとおり、と思います。
昭和30年代から存在します。
営業内容は名曲喫茶、同伴喫茶、キャバクラと変遷し、今は、カラオケの看板がかかっていました。
ある本に「時代のニーズに応じて、何度も何度も生まれ変わる亡霊のようなビルなのだ。」と紹介されていました。
そのとおり、と思います。
その王城ビルの隣に、弁天さまがいらっしゃいました。
歌舞伎町弁財天。
歌舞伎町の弁天さまです。
由来書きに曰く。
昔、歌舞伎町あたりは沼であり、そのほとりに弁天様がありました。
沼は淀橋浄水場が造られた際の残土埋め立てられましたが、
弁天様は峰島家の手により、現在の場所にあらためて祀られれました。
「どうりで、この辺りは今でも、お水っぽいのだ。」と感心しながら、お参りしました。
歌舞伎町の弁天さまです。
由来書きに曰く。
昔、歌舞伎町あたりは沼であり、そのほとりに弁天様がありました。
沼は淀橋浄水場が造られた際の残土埋め立てられましたが、
弁天様は峰島家の手により、現在の場所にあらためて祀られれました。
「どうりで、この辺りは今でも、お水っぽいのだ。」と感心しながら、お参りしました。
コメント 0