SSブログ

ぶらぶらと長崎 [只今出張中]

仙台・長崎 075.jpg

長崎の諏訪神社の「長崎くんち」は市民挙げてのお祭りなのだそうです。
市内の町を7つのグループに分けて、1年交代で演し物を担当する仕組みとなっています。
ですから、7年に1回の出番に各町内は張り切ることになります。
上の画像は散歩途中に見かけた本古川町の曳き物「御座船」の写真です。

長崎くんちでは、花街丸山の芸者衆の踊りが演し物の先頭に立ちます。
遊女の神社への奉納踊りが長崎くんちの起源となっています。
祭は、その余風を残しているのです。
本踊りでは「長崎ぶらぶら節」なども踊られるそうです。
艶っぽい本踊りの様子はこんな感じです。→YouTube

なかにし礼の小説「長崎ぶらぶら節」は芸妓愛八を主人公に花街丸山の様子を描いています。
花街丸山の発生は、出島・唐人街での貿易を通じて長崎の町が成立する江戸初期まで遡ります。
そんな長崎の町をぶらぶら節にあやかり、ぶらぶらと歩いてみました。

「遊びに行くなら花月か中の茶屋
梅園裏門たたいて丸山ぶうらぶら・・・」(ぶらぶら節)
 
仙台・長崎 057.jpg

出島を囲う塀を眺めながら、外周に沿ってぶらぶらしています。

今年のお祭りは、もう終わっていました。
残念な思いと、安心の思いが交差します。
もし、お祭り期間中であったら、気もそぞろで仕事が手に着かなかったでしょう。

出島は、女人禁制の男だけの島でした。
唯一出入りが許されたのは丸山の遊女でした。
それゆえにシーボルトと遊女其扇(そのぎ)のロマンスなどが生まれたのでしょう。
「丸山の恋は一万三千里」という川柳も残っています。

仙台・長崎 032.jpg 
 
出島の様子を俯瞰できる模型です。
家光の時代に造られた出島は扇形をしています。
築造にあたって島の形を問われた家光が手元の扇を投げたので扇形になったのだそうです。
シーボルトの著作「日本」に書いてある話ですが、シーボルト自体は江戸後期の人ですので、伝聞の話でしょう。
 
出島に向かい合う形で幕府の長崎奉行所西役所が置かれていました。
幕末期には、ここに海軍伝習所、医学伝習所、語学伝習所が置かれました。

海軍伝習所では勝海舟が操船術をカッテンディーケから学んでいます。
医学伝習所では松本良順、司馬凌海がポンぺの教えを受け、語学研修所には福沢諭吉が学んでいます。
佐賀藩は長崎に英学塾を開き、大隈重信が教頭を勤めながら、フルベッキの教えを受けています。 

明治後の日本を担った人物が集住し、長崎市内を往来した時代でした。 

仙台・長崎 074.jpg

出島近くのホテルから中島川沿いに歩き、眼鏡橋を見物しました。
橋のアーチと川面に映った橋の影を合わせて眼鏡を形造っているのを確認して、
「あぁ、眼鏡橋ね」と納得しています。

ここから、Uターンして丸山を目指します。

仙台・長崎 068.jpg

途中に茶碗蒸し、蒸寿司の吉宗(よっそう)がありました。
二階の軒先に並ぶ提燈が壮観でした。
慶応二年創業の老舗です。
創業者は吉田宗吉、店名は姓と名の一字目を組み合わせたものです。
宗吉は伊予松山藩の武士でしたが、武士の時代が終わる事ことを先読みしていたのでしょうか。

仙台・長崎 078.jpg 

思案橋まで来ました。
ここまで来て、丸山に行こうか帰ろうか思案をするところから思案橋の名が付きました。
花街丸山の入口にあたります。
今、橋は無く「思案橋跡」の碑と飲食街の入口を示すアーチで、それと知れるだけです。

仙台・長崎 080.jpg

なんと、カステラの老舗「福砂屋」は花街の入り口にありました。

話しは飛びますが、長崎土産は「松翁軒」のカステラを買いました。
福砂屋は1624(寛永元年)創業、松翁軒は1681年(天和元年)創業、文明堂総本店は明治創業です。
この中で、松翁軒のカステラは長崎以外であまり見かけることがありません。
「創業以来、職人がひとりひとつの窯で一枚づつ丁寧に焼き上げる。」が売り文句であり、
また長崎以外で見かける事がない理由かもしれません。

仙台・長崎 088.jpg 
 
福砂屋の前から、花街へ向かって登り坂になっています。
遊郭への入口跡には丸山町、寄合町の名が記された提燈が掲げられています。
正面には石造りの交番があるのも、かえって雰囲気を盛り上げています。
かつて妓楼が軒を連ねた一角は公園となっていました。
その丸山公園には、坂本竜馬の銅像がたっています。
確かに竜馬はよく遊んだようですが、何故なんでしょう。

竜馬お気に入りの芸妓元(もと)の存在など証拠は挙がっていますが、
長崎に学びに来ていた福沢諭吉は、大隈重信は、勝海舟は、丸山遊郭には来なかったのでしょうか。
大きな疑問が残りました。

仙台・長崎 059.jpg
 
お昼に食べた皿うどん(太麺)です。
会社近くの東紅記というお店でした。
このお店では、冬場はアサリの代りに牡蠣を使うそうです。
たしかに牡蠣が入っていました。
それから、みなさんウスターソースをかけて食べるようです。
中華料理に似つかわしくないウスターソースがテーブルに普通の顔して乗っていました。


長崎ぶらぶら節 (新潮文庫)

長崎ぶらぶら節 (新潮文庫)

  • 作者: なかにし 礼
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/09/28
  • メディア: 文庫

 

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

仙台牛タンに舌鼓を打つ水戸のかぜ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。