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仙台牛タンに舌鼓を打つ [只今出張中]

盛岡仙台 012.jpg

仙台は、かつての勤務地、
当時の住まいは南染師町にありました。
早朝の散策は、地下鉄の河原町駅から七郷掘あたりを歩いてみます。

広瀬川から引かれた七郷堀沿いには、仙台藩御用の染物屋が集住していました。
南染師町の名の由来です。
今も、何店かの染物屋があります。

写真は近所の駄菓子屋「石橋屋」です。
建物の構えが風情を感じさせ、さすが伊達藩62万石の城下町と思いませんか。

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朝から、一気に夜です。
一番町通りのアーケードを歩いています。
クリスマスモードのイルミネーションに飾られています。

残念ながら、仙台名物の光のページェントは未だでした。
今年は12月12日が点灯式となっていました。 
ちょっと早かったようです。

仙台・長崎 008.jpg

前回の出張時と同様、以前の同僚と呑みました。
東北の地酒で、盛り上がります。

写真はメニューのひとつ、牛タンの塩焼きです。
上手く撮れなくて、黒っぽく写っています。
美味しい雰囲気がでていませんが、「おいしかった」です。
仙台、1回目の牛タンです。

仙台・長崎 010.jpg

牛タン2回目。
昼食に食べた、牛タン定食です。
牛タンにテールスープ、麦飯の組み合わせ、
牛タンの皿に、付け合せの白菜の漬物と南蛮味噌が乗るのが標準のスタイルです。

牛タンは戦後誕生の食べ物です。
私の仙台勤務当時は、まだブレイク前だったようで、牛タンを供する店もあまり多くはなく、
大騒ぎして食べた記憶もありませんでした。

誕生の秘話として、『牛タンは米軍キャンプの払い下げを活用して誕生した。』(「宮城県の歴史散歩」山川出版社)などと語られるようです。
一方、仙台牛タン振興会のHPでは、
「駐留アメリカ軍は解体した牛肉を輸入していた、牛タン自体はほとんど輸入していなかった」ことを根拠に、
払い下げ食材説を否定しています。

私としては、美味しければどちらでも構わないのですが、
「太助」という店で昭和23年に誕生したこと、
使用部位が「タン」と「テール」であることから、
払い下げ食材説に説得力を感じてしまいます。

発祥の店「太助」は、現在「旨味太助」の名で国分町で続いています。
仙台勤務時代に食べたのは、多分この店のような気がします。

仙台・長崎 012.jpg

この後の出張先は長崎です。
長崎への直行便が無いため、
仙台空港から福岡空港へ飛んで、博多駅前で一泊、JRで長崎へ向かう旅程となりました。
博多駅前もクリスマス・イルミネーションで飾られていました。

仙台・長崎 015.jpg

イカの活き造りです。
呼子のイカを提供する店があるというので、同行者と出かけました。

呼子と言えばヤリイカ(剣先イカ)が有名ですが、ヤリイカのシーズンは終わりに近く、入荷していませんでした。
それで、写真は「みずイカ」(あおりイカ)の活き造りです。
これはこれで、コリコリした歯ごたえがあり、味が楽しめました。
この他、糸島の牡蠣を焼いてもらいました。
それから馬刺しの三点盛りも注文し、早くも九州を満喫してしまいました。

注:ヤリイカは3月下旬から12月初旬まで、みずイカは11月下旬から4月中旬までが漁獲の時期です。

仙台・長崎 018.jpg

お酒はもちろん焼酎です。
お店の棚に並ぶ焼酎のビンに、目移りがして落ち着きません。
ビンからビンへ目が泳いでいました。
酔ったせいかもしれませんが・・・・

食べてばかりいるようですが、チャンスは無駄に出来ないので、やむを得ません。
あすは、長崎へ向かいます。



宮城県の歴史散歩

宮城県の歴史散歩

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 単行本


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