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千山万岳・・・松本から [只今出張中]

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『春、西方のアルプスはまだ白い部分部分が多かった。
三角形の常念岳がどっしりとそびえ、その肩の辺りに槍ヶ岳の穂先がわずか黒く覗いていた。
島々谷のむこうには乗鞍が、これこそ全身真白に女性的な優雅さを示していた。
朝、アルプスに最初の光が映え、殊に北方の山々は一種特有のうす桃色に染まるのであった。』
季節は異なりますが、北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」の一節です。
 
先週、松本へ出張していました。
アルプスの山々は、既に白くなっています。

北杜夫は旧制松本高校の卒業生です。
出張から帰る日、電車待ちの時間を利用して松本高校の跡を訪ねてみました。
表題の「千山万岳」は土井晩翠の作詞による松本高校の寮歌です。 

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松本高校は、松本駅から真っ直ぐ東へ伸びる通りを2km程歩いたところにありました。
大正8年開校、写真の本館は翌9年完成の建物です。
隅入りコの字型の建物の隅部分が正面入口となっています。
松本高校は戦後の学制改革に伴い昭和25年に閉校となりましたが、信州大学人文学部として昭和48年まで使用された建物です。
旧制高校の建物としては貴重な遺構となっています。
ヒマラヤ杉に囲まれた校舎は、落ち着いた雰囲気を漂わせていました。

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校舎内、教室の入口に「理科第三学年乙組」と書かれています。
当時、一学年は文甲、文乙、理甲、理乙の4クラスで編制されていました。 
北杜夫は理乙の生徒でした。
『私が高校の理乙に入ったのは、もとより将来医師になるはずであり、そのことを中学時代からさして疑いもしなかった。』(どくとるマンボウ青春記)

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「どくとるマンボウ青春記」は、高校時代の私の愛読書でした。
当時、旧制高校の生活に憧れたものです。
校長や教師、生徒の自覚によって、自治と自由を重んじる学風が旧制高校の特徴です。
しかし学制改革後、旧制高校のような環境の学校はどこにも存在していません。

旧制高校時代の様子を再現した教室です。
北杜夫はこのような環境で学んだのかと感慨を深めます。

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コの字型の本館に囲まれた中庭からの眺めです。
落ち着いた色調の雰囲気の良い空間となっています。

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旧制高校の特徴の一つは寮生活にあります。
本館と講堂に挟まれたヒマラヤ杉の並木の奥に思誠寮の建物がありました。
その建物は残念なことに昭和58年に解体されています。

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幸い、記念館の中に寮の部屋が再現されていました。
『部屋の乱雑さなどは言いようがなかった。蒲団は度重なるフトンむしによってビリビリに破れ、それがたいていは万年床で、黴臭い臭気を発してした。』(どくとるマンボウ青春記)

「弊衣破帽」の言葉に象徴される白線入りの帽子、マント、朴歯下駄のスタイルとともに、
旧制高校の寮生活も憧れのポイントでした。

『黒いマントをはおり朴歯をはいた痩せ細った一人の高校生が歩いてゆく。
貧乏神にもう一人貧乏神がとっついて、乾からびて、骨ばって。何日もものを食べておらず。
栄養不良と厭世病と肺病にとっつかれているような風貌である。
それこそ「カントより哲学的な」と芥川龍之介が言った旧制高校生の姿であった。』(どくとるマンボウ青春記)

もっとも今は、黴臭い布団で寝る事など思いもしないことですが。

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型破りながら、世間の虚飾を避け、内面の充実をもって尊しとする生徒達を、
暖かく見守った松本の人達の気質が窺われる落ち着いた街並みも好ましく感じられました。 



どくとるマンボウ青春記 (新潮文庫)

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  • 作者: 北 杜夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/09/28
  • メディア: 文庫


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