菜飯・田楽・仙台堀 [東京散策]
「べらぼうめ、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕らまえて、なもしとは何だ。菜飯は田楽の時より他は食うもんじゃない。」
私が菜飯、田楽という食い物を知ったのは、漱石の「坊ちゃん」の、このくだりでした。
菜飯、田楽は東京の食べ物という思い込みに至ったのも、この小説の所為です。
しかし、探せども菜飯・田楽を供してくれる店は、東京では見つかりません。
漱石の時代にはあったけど、その後絶滅したとか、
もともと東京人の食い物では無いとか、その理由は不明です。
東海地方ではよく見かけます。
豊橋の「きく宗」は老舗ですね。
犬山の松野屋も明治創業のお店です。
金華山麓の岐阜公園内でも、季節には菜飯・田楽を供する店があったような気がします。
八丁味噌の本場、岡崎公園内にも田楽の店があったぞ。
東京で珍しく、菜飯・田楽を供してくれる店が、此処です。
門前仲町の「三河」、店名は主人の出身地だそうです。
菜飯・田楽は赤味噌文化圏の食い物かもしれせん。
門前仲町から北へ向かうと、清澄庭園の手前に仙台堀があります。
昔、隅田川と清澄庭園の間に仙台藩の蔵屋敷がありました。
その蔵屋敷前の堀なので、仙台堀の名で呼ばれたそうです。
隅田川と旧中川を東西に結んでいます。
ところで、江戸の住民が食べる米は、殆どが仙台米であったそうです。
江戸では仙台の米は「本石米」と呼ばれていました。
石巻、塩釜、荒浜の港から積み出された仙台の米は、
銚子から利根川を遡り、関宿を経由して旧中川から仙台堀、そして蔵屋敷に運ばれました。
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