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菜飯・田楽・仙台堀 [東京散策]

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「べらぼうめ、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕らまえて、なもしとは何だ。菜飯は田楽の時より他は食うもんじゃない。」
私が菜飯、田楽という食い物を知ったのは、漱石の「坊ちゃん」の、このくだりでした。
菜飯、田楽は東京の食べ物という思い込みに至ったのも、この小説の所為です。

しかし、探せども菜飯・田楽を供してくれる店は、東京では見つかりません。
漱石の時代にはあったけど、その後絶滅したとか、
もともと東京人の食い物では無いとか、その理由は不明です。

東海地方ではよく見かけます。
豊橋の「きく宗」は老舗ですね。
犬山の松野屋も明治創業のお店です。
金華山麓の岐阜公園内でも、季節には菜飯・田楽を供する店があったような気がします。
八丁味噌の本場、岡崎公園内にも田楽の店があったぞ。

東京で珍しく、菜飯・田楽を供してくれる店が、此処です。
門前仲町の「三河」、店名は主人の出身地だそうです。
菜飯・田楽は赤味噌文化圏の食い物かもしれせん。
 

三河田楽 005.jpg

門前仲町から北へ向かうと、清澄庭園の手前に仙台堀があります。
昔、隅田川と清澄庭園の間に仙台藩の蔵屋敷がありました。
その蔵屋敷前の堀なので、仙台堀の名で呼ばれたそうです。
隅田川と旧中川を東西に結んでいます。

三河田楽 006.jpg

ところで、江戸の住民が食べる米は、殆どが仙台米であったそうです。
江戸では仙台の米は「本石米」と呼ばれていました。
石巻、塩釜、荒浜の港から積み出された仙台の米は、
銚子から利根川を遡り、関宿を経由して旧中川から仙台堀、そして蔵屋敷に運ばれました。

仙台堀 012.jpg

今、仙台堀川は親水公園として整備されて、快適な散歩道となっています。

江戸の中期になると、どこの藩も年貢米だけでは、藩財政は成り立たなくなってきます。
仙台藩も同様で、凶作や、幕府の手伝い普請の出費などが重なり、財政破たんを来しました。

その再建策が、江戸での米販売です。
年貢米の換金だけでは、財政が赤字となるのは分かっていますのから、
仙台藩は、年貢米以外の米も、農民から買い上げます。
米を現金で仕入れ、大消費地である江戸へ運び、販売します。
藩を挙げて米商人をやったのです。

その商品流通ルートの一端が仙台堀であり、販売拠点(流通倉庫?)としての蔵屋敷なのです。

仙台堀 025.jpg

商品を産地から消費地に運ぶと、そこに利潤が生ずる。流通は商売の基本原理です。
この発想は武士のものではありませんね。

仙台藩の財政再建にあたったのは、大阪の升屋小右衛門です。
またの名を山県蟠桃、「夢の代」の著者で知られる商人兼学者です。

堀の名が、南部でも、米沢でもなく、仙台堀であるのも納得できそうな話です。

そしてテーマの「菜飯」と「仙台堀」の関係は、単に「お米」つながりです。
ここのところ、故(ゆえ)あって禁酒・禁煙中、食べることのみが楽しみ、心が米(食欲)に揺れるのです。


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