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御台場散策 [東京散策]

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「品川沖には台場が築かれて、多くの人々の心に海防の念を呼び起こしたとも聞く、外国御用掛りの交代に、江戸城を中心とした交易大評定の噂に、・・・江戸の市民は毎日のように何かを待ち受けるかのようでもある。」
島崎藤村の「夜明け前」に出て来る台場は、当時の世情の象徴となっています。

嘉永6年(1853年)に来航したペリーが翌年の再来航を告げて去ったのち、大急ぎで、江戸湾に砲台場が築かれました。
しかし台場の砲が火を噴くことはなく、開国そして、明治維新を迎え、現在に至っています。

いま台場はどうなっているのか、見物に行ってきました。
「ゆりかもめ」のお台場海浜公園駅で下車、しばらく歩くと目の前に広がる風景です。
 
台場 072.jpg

左手前が第三台場の石垣です。
その奥に見えるのは第六台場です。
遠くにビル群が望めます。

「これは何と称する肴か知らんが、何でも昨日あたり台場近辺でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。」
「吾輩は猫である」の主人公が主人の食膳に載せられた魚を見ての感想です。
漱石の時代には、台場は魚の棲家となっていたようです。

お台場海浜公園のあたりは釣り禁止の区域となっていました。
今も、魚は多いのでしょうか。

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南の海に向けて砲台が二基あり、それらしい雰囲気を盛り上げます。
ただし、近寄ってみるとコンクリート製でした。
後の時代につくられたレプリカなのでしょう。

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石積みの火薬庫の跡です。
これは、本物らしい。
この施設の性格を物語る遺物です。

台場 083.jpg

台場の中央部には礎石が残ります。
「陣屋の礎石」と説明板にありましたが、近づくとこれもやはりコンクリート製でした。

明治に入り、陸軍の管理下となり、その後東京市に払い下げられ、大正年間には公園として整備されたといいますから、
いろいろと後世の手が加えられているようです。 

台場 110.jpg

台場の一角に朽ちかけた桟橋が残っていました。

「かく現代の首府に対しては実用にも装飾にもならぬこの無用なる品川湾の眺望は、彼の八つ山の沖に並んで泛ぶこれも無用なる御台場と相俟って、いかにも過去った時代の遺物らしく放棄された悲しい趣を示している。」(日和下駄)
荷風先生の時代には「無用の」とまで、貶められます。

台場 021.jpg

今、台場の周辺は再び人々が集まるスポットとなっています。
但し、第三台場まで足を延ばす人は多くなさそうです。
しかし御台場はデートスポットとしてその命脈を保っているようです。
荷風先生に「無用の」と言われることが無さそうなのは、めでたしと言うべきでしょうか。

なお、砲台の大砲が火を噴くことはありませんでしたが、
ペリーが再来航したときは、品川の海に並ぶ台場を見て、江戸湾侵入を諦めたそうですから、
当初の役割は果たしたことになります。
幕府に建議書を出して、築造に当たった江川太郎左衛門もほっとしたことでしょう。



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