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残暑お見舞い申し上げます [東京散策]

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今日も、暑い日になりました。
風鈴の音色が、わずかに涼しさを誘います。
1945年8月15日も暑い日でした。
この日の東京の最高気温32.3度であったそうです。

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安倍さんは参拝を見送ったそうですが、私は見送らないで参拝です。
冷房の効いた室内でまったりしたいところですが、靖国神社に出掛けました。
断っておきますが、政治的意図があるわけでもなく、単に戦争の犠牲者の冥福を祈るためです。
境内は普段の日に増して多くの参拝者で溢れかえっています。

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8月15日は終戦の日ですが、この日で全てが終わったわけではありませんでした。
外地にいた人たちにとっては、この後も苦しい日が続きました。
最近読んだ本で、改めてこのことを知りました。

「戦闘停止から日常生活に復帰するまでの期間は、国内にあった兵士にとってせいぜい数週間単位であったが、海外にあった兵士は、例外的に早くて一ヶ月、一年以内が二分の一以上、二年、三年も留め置かれた兵士も決して少なくなかった。戦地に派遣されたと同じか、それ以上の期間、苦しい生活をおくらねばならなかったのである。」 
「復員・引揚げの研究」(田中宏巳著、新人物往来社刊)
 
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終戦時における戦地の兵士、外地の民間人、帰還者総数660万人。
帰還業務に頻繁に従事した氷川丸でも、1航海の帰還者数はせいぜい3,000名程度です。
残された船舶の数、引揚を求める人の多さを考えると、戦争の後始末も容易ではなかったことが知れます。
 
私の父も、戦地から復員できたのは昭和21年3月のことでした。
母の兄は、ついに帰ることはありませんでした。

境内の能楽堂前で、英霊に感謝する放鳩式が行われていました。
 
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総力戦の意味をよく理解し、日本本土進攻を最終目標として作戦を展開したアメリカに対して、
日本の軍部は総力戦の決着方法が皆目わからず、総力戦という言葉を国民統制の道具としてしか使えなかったという、内向きの姿勢に終始した実態を「復員・引揚げの研究」の著者は指摘しています。

いずれにしても、多くの民間人が犠牲になった本土空襲の様相は、戦力の母体となる相手国民の殲滅が現代戦の本質になっていること示しています。
これが総力戦の真実であることを、我々は認識すべきであると思いました。
その上で「平和」について考えるべきなのでしょう。

一斉に放たれて、舞飛ぶ鳩に集まった人たちの思いが込められていることを感じました。



復員・引揚げの研究―奇跡の生還と再生への道

復員・引揚げの研究―奇跡の生還と再生への道

  • 作者: 田中 宏巳
  • 出版社/メーカー: 新人物往来社
  • 発売日: 2010/06
  • メディア: 単行本

 

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