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甲州街道勝沼宿 [只今出張中]

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4度目の甲府出張でした。
中央線の勝沼ぶどう郷駅で途中下車をして、甲州街道勝沼宿を歩いてみます。

勝沼駅の標高は480メートルもあるでしょうか。
眼下に甲州盆地が広がり、遠くに南アルプスの山並みを望むことができます。


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駅から、平成9年に廃線となった大日影トンネルを抜けて深沢川が流れる谷を目指しました。
明治36年開通のトンネルは、地元のぶどうやワインの流通に革命をもたらします。
馬の背で数日かけて運んでいたものが、半日の行程となったのです。
ぶどう、ワインの出荷の便にと地元の請願で造られたのが先程の勝沼駅です。
 
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トンネルを出ると山間に深沢川が流れています。
ぶどう畑の広がる山道を下ります。

大月から笹子峠を越え、日川沿いに甲州街道を下ると甲州盆地の入り口にあるのが勝沼宿です。
深沢川は勝沼宿の東端で日川と合流します。
この合流地点が「甲州勝沼の戦い」の戦場でした。


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直木三十五の「近藤勇と科学」という小説があります。
 『「土方っ、退却っ」と怒鳴って、手を振った。
刀を差しているのが、馬鹿馬鹿しいようだった。
二三十年無駄にしたような気になった。』
官軍の備えた新式銃の威力(科学)を思い知らされ、敗退する近藤を描いています。

その戦場跡に近藤勇の像が立っています。

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甲州街道に架かる柏尾橋を挟んで近藤指揮の甲陽鎮撫隊と官軍が戦火を交えました。
江戸期の柏尾橋跡につながる旧甲州街道です。
笹子峠から下ってくる甲州街道は、急こう配の下り坂でした。

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戦況を描く内外新報の絵図です。
左手で炎上しているのが柏尾橋です。
鳥居の上あたりに、「会津方本陣、大久保強」との記載があります。
大久保剛は近藤勇のことです。
当時、大久保大和守剛と名乗っていました。
図中の強は剛の誤記でしょうか。
「会津方本陣」は、兵力で官軍に劣る鎮撫隊は会津の援軍があると言いふらしたそうですから、官軍にはそのように認識されていたのでしょう。
もちろん会津藩は参加していません。

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真言宗の古刹、大善寺の山門です。
当初、近藤は大善寺に本陣を置く事を考えたそうです。
徳川家にゆかりのあるお寺と知り、深沢川の左岸に布陣しました。

「勝沼駅近藤勇轎勇之図」という錦絵があります。
甲州勝沼の戦いを紹介する際に必ず出てくる錦絵です。
その背景には大善寺の山門が描かれています。

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境内には藤の花が咲いていました。

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薬師堂と呼ばれる本堂は檜皮葺の風格のある建物です。
武田勝頼が天目山で自刃する前に、一夜、この本堂で戦勝祈願をしています。
この後、勝頼一行は、大月の岩殿城を目指します。
しかし、城主小山田氏の裏切りにあい、織田家、滝川一益の兵に追い詰められ、天目山で嫡男、夫人と共に自害しています。

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勝沼宿の家並です。
人の気配もなく、静かな通りですが、街道沿いの建物に土地の豊かさを感じます。

しかし、街中の博物館で、ボランティアの老人から、山梨の空家率は日本一だとの話を伺いました。
東京の近さゆえの弊害なのでしょうか。

山梨は一人当たりのマグロ消費量も日本一なのだそうです。
出張中に飲みながら聞いた話ですので、本当かどうか知りません。
ろくでもないことばかりしか覚えていないのはアルコールの所為でしょうか。

これまで甲府で刺身の類は避けていましたが、
今回、ランチで食べたすし屋の鉄火丼は美味かったです。
居酒屋の刺身のマグロもまあまあでした。
山梨のマグロ、侮らざるべしです。 

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