青梅を歩く(まつり二題②) [東京散策]
塩船観音から青梅街道に出て、青梅宿を目指して歩きました。
東青梅駅を通り過ごして暫く歩くと、青梅線の踏切があります。
踏切を越えたあたりから青梅宿の街並みが始まりました。
青梅宿は多摩川の河岸段丘上に細長く続く宿場町です。
5月2・3日は青梅大祭です。
東青梅駅を通り過ごして暫く歩くと、青梅線の踏切があります。
踏切を越えたあたりから青梅宿の街並みが始まりました。
青梅宿は多摩川の河岸段丘上に細長く続く宿場町です。
5月2・3日は青梅大祭です。
ここ住吉神社の祭礼です。
青梅縞の名で知られる木綿の平織の産地であり、縞市が立ち、仲買人などが財を成しました。
江戸時代の話です。
第二次世界大戦後はガチャ万景気(注)の波に乗り、旦那衆と呼ばれる人達が街を支えました。
住吉神社から青梅駅までの青梅街道の北側の通りは花街となっていたそうです。
そうです、旦那衆は祭りと花街を支えたのです。
街道沿いには重厚な構えの商家がそここに残っています。
(注)「ガチャ万、コラ千」
そうです、旦那衆は祭りと花街を支えたのです。
街道沿いには重厚な構えの商家がそここに残っています。
(注)「ガチャ万、コラ千」
ガチャンと織機を回せば万円が儲かり、統制時代だったので、当局からコラと言われて罰金千円払った。
または千円の袖の下で勘弁してもらった。
官民ともに札束が飛び交った時代を表すことば。
昔、名古屋勤務時代に聞いたので、尾張、三河地方で使われた言葉と思っていましたら、
官民ともに札束が飛び交った時代を表すことば。
昔、名古屋勤務時代に聞いたので、尾張、三河地方で使われた言葉と思っていましたら、
先般、前橋でこの言葉に遭遇しました。
そして青梅でも使われた言葉だと知りました。
共通語なのですね。
そして青梅でも使われた言葉だと知りました。
共通語なのですね。
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