千葉ポートタワーで夕景を楽しむ [只今出張中]
千葉ポートタワーからの夕景を見たくて、早めに千葉入りしました。
ホテルにチェックイン後、港に向かいました。
1986年、千葉県人口500万人突破の記念施設だそうです。
発想がバブリーなことが当時の時代を感じさせる建築物ですね。
外壁全面にハーフミラーを張り付けた外観が福岡タワーに似ています。
調べたら、どちらのタワーも設計は(株)日建設計でした。
福岡タワーの高さはポートタワーの2倍ほどありますが、完成は1989年と千葉の3年後です。
タワー建設は後になるほど高くなるとの原則通りです。
「高いほど尊い・・・」
人間の心理はバベルの塔の時代から一歩も進歩していないようです。
タワー展望室から眺めた千葉市街です。
画面を左右に走る高架は京葉線です。
タワー下から延びる通りの上にはモノレールの軌道も見えます。
ビルが立ち並ぶ光景となっていますが、昭和初期の千葉市の地図をみると、ここら辺りはみんな海の中です。
西日を浴びた街並みがオレンジ色に染まっていました。
工場が立ち並ぶ海側の光景です。
「袖ヶ浦」は東京湾の北東部側一帯の古称です。
日本武尊が東征のおり、走水(横須賀市)から船出し、上総へ向かう途上、時化にあい、后の弟橘姫(おとたちばなひめ)が海に身を投げ、時化を鎮めた神話はご存じでしょう。
その弟橘姫の袖が流れ着いた海岸であるというのが、名の由来なのだそうです。
かつては砂浜が続く海岸でした。
1960年代以降、海岸の埋め立てと工場誘致が行われ、京葉工業地域が形成されました。
埋め立て地が並ぶ海岸線は乱杭歯のよう地形となっています。
砂浜が弧を描く地形図の姿は過去のものです。
東京方面の眺めです。
東京湾を隔てて、スカイツリーが見えました。
そろそろ日没が近づいています。
富士の背後に太陽が沈んでいきました。
富士山がシルエットとなって浮かびあがります。
「さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問いし君はも」
弟橘姫が入水の時に詠んだ歌といいます。
歌意は、
「相模の小野で火に囲まれたとき 火の粉が自分に降りかかって来るにもかかわらず 私の身を案じてくださった貴方」
千葉ポートタワーの2階は愛のプロムナードとなっていて、恋人の聖地なんだそうですが、意味不明のスポットでした。
しかし、袖ヶ浦に繋がる神話を踏まえているのなら大したものだと思います。
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