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沖縄を歩いて、沖縄を考える [只今出張中]

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今週は沖縄と福岡にいました。
到着の夜の那覇の国際通りです。
戦後、米軍から提供を受けた資材で建設されたアニーパイル国際劇場がこの通りにありました。
この通りの名前の由来です。
昭和23年ころのことでした。
アニーパイルは沖縄の戦いで戦死した従軍記者の名前です。
沖縄はどこを歩いていても戦争の影が色濃く残っているような気がします。

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牧志の公設市場に続くアーケード街です。
国際通りは起伏のある通りですが、このあたりが一段と低くなっています。
通りの下にはガーブ川が暗渠になって流れています。
かつては川に沿った湿地帯であったそうです。
戦後、収容所に収容されていた市民たちが解放され那覇に戻って来た時、市街地の多くは米軍に接取されていました。
やむなく、この湿地帯で商業活動を始めたのが牧志の市場の始まりになります。
今は観光客で賑わっています。

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通り沿いの看板もなんとなくアメリカナイズされているのが戦後の歴史を彷彿とさせる風景となっています。

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ホテルは久茂地川の畔にありました。
久茂地川を起点に朝の散歩に出かけました。
那覇の町はかつて浮島と呼ばれる島の上にありました。
写真の左手が浮島のあった方角です。
右手は県庁、市役所、国際通りがある一角となります。
浮島には港を初め貿易に関連する施設がありました。
港と商業の町、浮島と行政の町首里との間には長虹堤という海中道路で繋がれていました。
琉球王朝の時代の話です。
久茂地川は実は、首里と浮島の間に入り込んだ海の名残なのです。
港町の面影を探して浮島散策をしました。

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波ノ上神社です。
いかにも沖縄の神社らしい社殿です。
石造りの鳥居越しに社殿を眺めるとしっくりこない気分です。
海辺の琉球石灰岩の高台にあります。
沖縄戦で鳥居を残して社殿は焼けていますので、もちろん戦後の建物です。

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社殿のある高台から海が臨めます。
いかにも南国らしい海の色でした。

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神社のある高台を下り、歩いているとソープランドやラブホテルが建ち並ぶ一角に出ました。
電柱の住居表示を確認すると「辻2丁目」との書いてあります。
遊郭があったところです。
日本の遊郭とは異なり、女性だけの自治で運営されていました。
その姿は上原栄子の自伝「辻の華~くるわのおんなたち」で知ることができます。

沖縄はかつて琉球王国という独立国家です。
江戸期は日本(薩摩)と清の両属関係にありましたが、やはり独立国家であったのです。
遊郭の仕組みひとつを見ても、独自の文化を持った国であったことを思い知らされます。

明治維新後、日本政府によって琉球処分が行われます。
何をどう処分したかと言うと、琉球王朝の「廃止」処分です。
警察官と軍隊を配置して、一方的に琉球王朝を廃止したのです。
何の権限があって、かってに廃止するのかわかりませんが、ずいぶんと理不尽な話ではないですか。

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辻の町で見つけた「Aサイン」看板です。
米軍の衛生基準に適合した店に与えられました。
アメリカ合衆国による沖縄統治の名残です。
今も米軍基地がありますから、まだ現役なのでしょう。
名残といっちゃいけないかもしれません。

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沖縄で食べたもの、ソーキそばです。
到着日のお昼、翌日のお昼、と二度も食べてしまいました。成り行きで・・・。
夜は居酒屋で泡盛を飲みました。
島ラッキョウの天ぷらが意外においしかったです。
マグロの中落ちにわさびとマヨネーズが付いてきたのには驚きました。
マヨネーズでトロに似た味となるのだそうです。
本当ですか?


新篇 辻の華

新篇 辻の華

  • 作者: 上原 栄子
  • 出版社/メーカー: 時事通信社
  • 発売日: 2010/05/28
  • メディア: 単行本

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