永平寺 [只今出張中]
今週は北陸に出張です。
小松空港から福井市に出て、バスを乗り継ぎ永平寺の門前にいます。
横浜の総持寺と並ぶ曹洞宗の本山です。
杉の木立の向こうに見えるのは永平寺の正門です。
観光客は通用門から入り七堂伽藍巡りをします。
10月には珍しく暑い日でしたが、大杉が繁る山中は日差しが遮られ、樹間を吹き抜ける風は爽やかでした。
小松空港から福井市に出て、バスを乗り継ぎ永平寺の門前にいます。
横浜の総持寺と並ぶ曹洞宗の本山です。
杉の木立の向こうに見えるのは永平寺の正門です。
観光客は通用門から入り七堂伽藍巡りをします。
10月には珍しく暑い日でしたが、大杉が繁る山中は日差しが遮られ、樹間を吹き抜ける風は爽やかでした。
参拝順路の初めにあるのはこの建物です。
傘松閣と書かれた額が床の間の上に掲げられていました。
参拝者の研修や宿泊に使われる建物だそうです。
折上格天井の一枡ごとに金地に花鳥が描かれています。
豪華かつ広大な座敷でした。
室内をうろつく参拝者と比較していただければ、部屋の広さ、天井の高さを実感していただけるでしょう。
仏殿から山門を見下ろした光景です。
山の斜面に沿って伽藍が並んでいます。
参拝者は、山門、仏殿、法堂と裾から登って行くことになります。
従って建物を繋ぐ廊下はこのような階段となります。
お年寄りには全く配慮のない構造となっています。
まあ修行僧のための施設なのですからやむを得ないとは思いますが。
曹洞宗の開祖道元はひたすら座禅すること、「只管打坐」を唱えた求道者であったといいます。
道元が、ここに修業の場を開いたときは、ささやかなお寺であったと想像されます。
道元が、ここに修業の場を開いたときは、ささやかなお寺であったと想像されます。
「修練ありて堂閣なきは、古仏道場なり」
道元の言葉です。
本来の仏者の道場というものは堂閣にあるのではなく、修練する場があれば、そこが道場なのだ、
と言い切っているほどです。
「末世の愚人、いたづらに堂閣の結構につかるることなかれ」とも言っています。
三世の義介に至ると、もう俗化主義に陥ってしまいます。
義介も道元同様、宋に渡っています。
しかし入宋の目的は修業のためでもなく、教義を求めての旅でもなかったようです。
寺院経営、伽藍建築を学ぶための渡海でした。
500円也の拝観料を払って私たちが見るものは、道元の面影ではなく、三世義介の残像なのです。
しかし、修業僧の起居する僧堂のつくりに僧たちの質素な生活を感じました。
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