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オランダおいねの面影、岡山 [只今出張中]

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今週の出張先は岡山でした。
日曜日の午後には岡山にいました。
後楽園を散策しています。

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オランダおいね。
楠本イネは、シーボルトの娘です。
残された写真を見ると、細面の美人です。
弘化2年(1845年)から嘉永4年(1851年)、イネはこの岡山で産科医術の修業を行っています。

イネの面影を求めて岡山の町を歩いてみました。
司馬遼太郎の「花神」は大村益次郎が主人公の小説ですが、冒頭部はこんな記述から始まります。
「大村益次郎とシーボルトの娘との関係、あれは恋でしたろうね」

大村とイネの邂逅の舞台は、ここ岡山でした。
当時蔵六と名乗った大村は大阪適塾の緒方洪庵の代理人として、岡山の医師石井宗謙を訪れます。
花神の文章を引用します。
『旭川をわたると、岡山城下である。京橋の上にたって、北の天をのぞむと、烏城を通称される天守閣がそびえ、いかにも中国筋の雄都らしい。蔵六は、橋を西にわたってそのままの方向にすすんだ。』

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『ここか、と蔵六は軒下を見、二階を仰ぎ、笠のひもを解いた。まわりは繁華な商家の町で、宗謙の屋敷も、商家ふうの作りである。』
・・・私も「ここか」とつぶやきます。
石井宗謙の屋敷は、下之町にありました。
いまは、イネに因んで、オランダ通りと呼ばれています。
赤レンガが敷き詰められた通りとなっていました。
ここで蔵六はイネに会うのです。
宗謙の屋敷跡は下之町商店会の事務所になっていました。

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岡山の市街を流れる西川です。
水量が多い川でした。
両側は木陰がある散歩道となってました。
岡山滞在中の早朝散歩コースでした。

イネはその後、長崎で産科を営み、宇和島で蔵六の教えを受け、横浜で医院を開業します。
明治政府の兵部大輔となった大村が京都で刺客に襲われ負傷すると、イネは横浜の医院を畳んで大村の許に駆けつけました。
『イネが横浜からとんできた日、・・・イネの顔をみた第一声は、「あなたは産科ではありませんか」ということであった。
とはいえ、蔵六は生涯でこの瞬間ほどうれしかったことはない。』
蔵六が亡くなるまでの50日余り、イネは蔵六の看病に尽くします。
・・・で、冒頭の『大村益次郎とシーボルトの娘との関係、あれは恋でしたろうね』に繋がるのです。
メデタシ、メデタシ。

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岡山で食べたもの。
「かばくろ」の「ぶたかば重」、豚のかば焼きですが、全くの鰻のかば焼きの「たれ」そのものでした。

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「えびめし」、味はうまく説明できません。
見た目ほど濃い味ではありませんでした。
その他、「デミカツ丼」、ごはんとカツの間にはキャベツが挟まれ、カツにはデミグラスソースが掛かっています。
「とんかつラーメン」、とんこつではありません。ラーメンにとんかつが乗ります。
岡山の味も堪能しました。 

 


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コメント 2

nimonimo

えびめし変わってますね!美味しかったですか?
by nimonimo (2013-07-07 20:46) 

kuma

えびめしの味はうまく表現できません。単純に美味いと言えればいいのですが・・・。次は大阪です。
by kuma (2013-07-13 12:44) 

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