花のいのちはみじかくて [東京散策]
新井薬師の駅から西武新宿線に沿って、中井まで歩きました。
妙正寺川を渡ると、線路の北側は目白の台地となります。
道筋の左手は、八の坂、七の坂、と坂道が続いています。
やがて四の坂となります。
坂の上り口に林芙美子邸がありました。
自伝的小説「放浪記」で世に出た林芙美子が、自ら木場まで出掛け、材木を選び、こだわり抜いて、立てた建物です。
戦災に遭うこともなく、今も残り、林芙美子記念館として公開されています。
雨天のためか、ほかに訪れる人もなく、閑散としていました。
ボランティアのガイドがあると受付で聞き、案内をお願いしました。
庭伝いにボランティアさん登場です。
茶の間です。
6畳間の小さな茶の間ですが、L字型の広縁に囲まれ、ゆったりとした雰囲気があります。
貧しい生活の幼少期でしたが、昭和5年の放浪記が評判になると、次々と作品を発表し流行作家となります。
昭和14年に土地を購入し、建築に着手しました。
緩い勾配の数寄屋造りの建物からは軽快な印象を受けます。
雨に濡れた新緑に映えて、心落ち着く環境です。
小説の執筆も進んだことでしょう。
林芙美子は竹が好きだったそうです。
庭には竹のみが植わっていました。
芙美子は、昭和26年6月28日、47歳で亡くなっています。
もともと心臓弁膜症を患っていました、矢継ぎ早に発表する作品からジャーナリズムに殺されたとも言われました。
葬儀委員長は川端康成、庭の竹林を半分も切り、テントを張って、告別式が執り行われたそうです。
そのため、庭の竹は一部分となっています。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」
芙美子の夫、緑敏のアトリエが展示室となっており、そこに芙美子の年譜が掲げられています。
年譜冒頭に「花のいのちはみじかくて」とありました。
色紙に好んで描いた言葉だそうです。
下記は、林芙美子が村岡花子に贈った詩の全文です。
風も吹くなり
雲も光るなり
生きてゐる幸福(しあわせ)は
波間の鷗のごとく
漂渺とたゞよひ
生きてゐる幸福は
あなたも知ってゐる
私もよく知ってゐる
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雲も光るなり
林芙美子邸の日本家屋、趣がありますね♪
花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かれど・・・・
人の人生そのものですね。
by nimonimo (2013-06-22 20:44)
今週は、東京芸大美術館です。漱石の小説改めて読み直さねばと、思ってしまいました。
帰り道、上野広小路の「うさぎや」に寄ってどら焼きを買って来ました。
食べることは忘れない。人生をしたたかに生きています。
by kuma (2013-06-23 17:07)