目黒行人坂 [東京散策]
今週は新宿、花園神社の例大祭です。
3週続けてのお祭りは、あまりにも浮かれ過ぎのような気もします。
新宿を通過して目黒まで足を伸ばしました。
行人坂から目黒不動まで散策してみたいと思っています。
その前に、自然教育園を覗きました。
自然教育園で見かけた「アイイロニワゼキショウ」の花です。
可憐な花でした。
江戸時代、高松藩の下屋敷、明治には陸海軍の火薬庫であった場所です。
現在は樹木が鬱蒼と茂る自然教育園として公開されています。
教育園で自然を満喫したのち、行人坂へ向かいました。
JR目黒駅は白金台台地の西の端にあります。
駅を出ると台地から目黒川へ向かって道は下り坂です。
急な傾斜の坂は行人坂と言います。
江戸時代、雨天の日には、人馬の往来も難儀したそうです。
写真のお姉さんの歩き振りから坂の傾斜を想像してください。
そうです、坂のせいで、大股になり、手の振りが自然と大きくなります。
トット、トットと歩く感じです。
坂の途中の大円寺の山門です。
大円寺は江戸三大大火の一つ「行人坂火事」の火元だと言われています。
明和9年2月29日、大円寺の納所坊主が寺に火を放ったのが原因だそうです。
行人坂から出た火は白金、麻布、神田、浅草を焼き、千住まで及びました。
死者、行方不明者合わせて2万人近い犠牲者を出す惨事となっています。
大円寺境内の五百羅漢です。
しぐさや表情の異なる羅漢さんが五百体以上も並んでいます。
明和大火の犠牲者を供養するため刻まれたものです。
大円寺自体は、火災後再建が許されませんでした。
再興が許されるのは140年後の幕末になってからのことです。
火をつけた納所坊主を捕えたのは、鬼平こと長谷川平蔵の父親です。
長谷川さんは、父子二代に亘って「火盗改め」を勤めたのですね。
行人坂を下りきると、目黒川が流れています。
太鼓橋からの眺めです。
上流の目黒新橋は聖橋の橋脚にも似て、優雅なアーチを描いています。
左手の建物は、ラブホテル界の名門、目黒エンペラーの雄姿です。
最終目的地、目黒不動尊の仁王門です。
門前は商店街となっていました。
サンマではないですが、鰻を焼く良い匂いに包まれていました。
目黒不動の本堂です。
家光の信仰が篤かったといわれています。
家光はお忍びで江戸郊外に出ることが多かったそうです。
目黒のサンマの殿様も家光がモデルだと言われる所以です。
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