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四谷あたり [東京散策]

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地下鉄丸ノ内線、四谷三丁目駅は「消防博物館」に直結しています。
消防博物館を起点に新宿通り沿いに四谷あたりを徘徊しました。

博物館の目当ては、消防ヘリコプターに象徴される近・現代の消防ではありません。
これは、これで興味はありますが。
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これです、目当ては。
近世、江戸の火消しです。
消防組織が行政の課題になるのは都市の成立を待たなくてはなりません。
ですから、この博物館の展示も江戸の火消から始まります。

とはいえ、当時の消防は破壊消防です。
消火拠点の目印となったのが、この粋なお兄さんが担ぐ「まとい」です。

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江戸の華、町火消ができるのは、享保3年(1718年)、江戸幕府が成立して100年余りの時の経過が必要でした。
江戸時代初期、家光の時代の大名火消から、旗本による定火消と消防組織の拡充は続きました。
それでも相次ぐ火災に手は回らなかったようです。
大岡越前守の時になって、初めて町方による消防組織ができます。

各組の象徴となったのが「まとい」です。
かつでは大名火消が火事場に持ち出しだ「馬印」=「まとい」が町民の手に渡ります。

基本は破壊消防です。
したがって道具は「大刺又」、「鳶口」など破壊道具が主体です。
従事するのは建設作業者(大工、とび職)が多くなります。
前の写真の倶梨伽羅紋紋の粋なお兄さんが象徴になります。

ちなみに江戸の大火というのは消防力の不足もあって半端な火災ではありません。
明和の目黒行人坂の大火は、目黒から出火して千住まで焼いたというそうですから、現代では想像ができません。
鎮火まで3日間、死者1万5千人あまり。

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消防博物館を出て、四谷荒木町飲食街の路地に入り込みました。
このあたり、江戸時代、美濃高須藩松平家の屋敷があった地です。
明治に至り、屋敷の庭園が景勝地になり、料亭が並び、例によって花街となります。
いまもその風情が残り、飲食店が多い一角となっています。
「哲」というチャンポン居酒屋でお昼を食べました。
・・・・う、うまかったです。

荒木町から、新宿歴史博物館へ向かいました。
上の写真が博物館の目玉、内藤新宿の街並みの復元模型です。
写真は追分付近、今の伊勢丹前の交差点あたりです。

街道沿いの家並みのグレーの屋根は瓦葺、それ以外は板葺の屋根です。
いかに板葺が多いか分かります。
これでは火事になったら大変ですね。

四谷 085.jpg

せっかく四谷に来たのですから、「わかば」に寄りました。
店の前は行列ができていましたが、めげずに並びます。

四谷 092.jpg


この店の良いところは、作業場がガラス張りで、職人さんが「たいやき」を焼くさまが見られることです。
並んでいても飽きさせません。
職人さんの手元を見てください、通(つう・おたく)が「天然物」と呼ぶ「一本焼き」です。

・・・もちろん、美味しかったです。




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