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松江市にて [只今出張中]

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出張先での仕事が続きます。
鳥取県の米子から島根県の松江に移動しました。

大橋川に架かる松江大橋から宍道湖方面を望む景色です。
霙が降ると思えば晴れ間がのぞき次の瞬間には霰が降り出すと冬の日本海側特有の空模様が続いています。
寒い中、早朝の散歩に出ました。

米子松江 115.jpg
松江駅前のホテルを出て西に向かうとやがて宍道湖畔に出ます。
宍道湖に至る手前には寺町、白潟本町の町名表示があり旧城下町がこのあたりから始まるのが分かります。
白潟本町を経て大橋川を渡りお城方面に向かって歩きます。

途中、京店、東茶町と風情を感じる名前の街並みが続きます。
和菓子屋、茶舗があちこちにあり、さすが松平不昧公の城下町だと思わせます。

米子松江 145.jpg

東茶町の狭い通りを抜けて北に向かい、堀川を渡ると行く手にお城が見えてきました。
徳川親藩松平家のお城です。
第7代藩主松平不昧公(治郷)が有名ですね。
茶人として有名です。
「不昧公好み」のお菓子として知られる「山川」は日本三大銘菓の一つとして数えられます。

破たん寸前の藩を引き継ぎ藩政改革で財政を立て直します。
ようやく潤った財政は茶器の購入に使われ再び財政悪化してしまいます。
ひとつ1500両とか、2000両と言われる茶器を買いまくったといいますから当然です。
お殿様の考えることはよく分かりませんね。

米子松江 079.jpg

お城の周辺には白壁の武家屋敷街が続きます。
しっとりとした城下町らしさが感じられる町に好感が持てました。
外国人ながら小泉八雲が松江の町を愛したのも解る気がします。
米子松江 072.jpg

八雲の旧居も武家屋敷が並ぶ一角にありました。
お城の北、塩見縄手にあるこの家で明治23年から24年にかけて八雲の松江生活がありました。
小泉セツと知り合いやがて結婚し、日本に帰化をすることになります。
松江は八雲にとって思い出の深い土地でしょう。

ところで、松江における八雲の年譜を見ていて気づいたことがあります。
「明治24年5月松江を訪れた井上円了博士と行動を共にする。」との記述がありました。
妖怪博士といわれた井上円了と知遇があるのですね。
後日「怪談」を書いた八雲は円了博士からどのような影響を受けたのでしょうか。

米子松江 150.jpg

再び大橋川を渡り宿へ引き返します。
河口近くでシジミ漁をする光景を見ることが出来ました。

そろそろお腹も空きました。
朝食にしじみ汁があるといいなと思いつつ宿への道を急ぎます。






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