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雨の熊本 [只今出張中]

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焼酎を水割りからお湯割りに変えたとたん、
「熊本も寒かとでしょう」とカウンター越しにお姉さんが問いかけてきました。
先週は雪の札幌にいましたが、今週は熊本でした。

到着の日は雨が降っていました。
ホテル近くの居酒屋で、馬刺しで球磨焼酎を飲んでいます。
このあと、夜の熊本城を散策しました。
写真は夜空に浮かび上がる宇土櫓です。

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熊本城は加藤清正の築城になります。
加藤清正は武将として有能であったのみならず、築城家としの才能もありました。
名古屋城の普請などに力量を発揮しています。
その清正が自らの城として築いたのが熊本城です。
漆喰塗りの白と黒の押縁下見板張りがコントラストを成す天守閣は「強」というイメージにぴったりです。

熊本 047.jpg

高々とそびえる石垣を見ると実戦的なお城であることがわかります。
「清正流石組」と呼ばれる石垣は、下は緩やかな扇の勾配をなしていますが、上部はほぼ垂直に切り立っています。
武者返しとも言われます。

清正は軍人であり、築城家でもありましたが、またよき為政者でもありました。
築城で培った土木技術で治山治水の工事を行っています。
加藤家の改易後、豊前小倉から細川家が入封します。
細川忠利は清正の霊位を行列の先頭にかざして熊本に入部したそうです。
清正に敬意を払う姿勢を示すことで、政治姿勢を住民へアピールしたかったのでしょう。

熊本 129.jpg

熊本を訪れるのは4度目となります。
今回の熊本城見物の目的は復元された本丸御殿を見ることです。
数寄屋丸から本丸に繋がる通路の上に本丸御殿が建っています。
建物の下となっているため昼なお暗い通路を通り抜けないと本丸に到達しません。
かつては大ろうそくの照明で通路を照らしていたのでしょう。

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本丸御殿大広間に続く昭君之間です。
金襖に描かれた絵は狩野言信の筆になるものだそうです。
もちろん復元ではありますが・・・。
折上格天井にも金箔が施され豪華なものです。

金箔を多用した装飾はキラキラして成金趣味に感じられます。
しかし、それは現在の照明のもとで見るからケバさだけが目立つためです。
電気照明のない時代、暗い家屋内で、遠くからかすかに届く戸外からの日差しに浮かびあがる金襖を想像してください。
谷崎潤一郎が「陰影礼賛」の中で指摘している通りの世界が広がると思います。

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熊本で食べたもの。
熊本ラーメン。一日目の昼、上通町の「こむらさき」、二日目の昼、花畑町の「桂花」の2杯。
熊本ラーメンの源流は久留米ラーメンにあります。
とんこつスープに中太のストレート麺、焦しにんにくが乗るのが熊本ラーメンの特徴のようです。
三日目の昼は下通アーケードにある「紅欄亭」の太平燕(タイビーエン)を食べました。

ところで、熊本城の北には夏目漱石の旧居があります。
夏目は明治29年4月から明治33年7月までの4年間を第五高等学校の英語教師として熊本で過ごしています。
漱石、29歳から33歳の時代です。
この後、漱石はイギリス留学に旅立ちます。
4年間で6回の転居を繰り返していますが、熊本城の北にある坪井の旧居は5回目の転居先です。

漱石、前任の五高英語教師は小泉八雲です。
八雲はその後、東京帝国大学の英文学講師となります。
東京帝国大学での八雲の後任はまたしても漱石です。

小泉八雲の熊本の前任地は松江です。
八雲は松江赴任中、小泉セツと知り合い結婚し日本に帰化しました。
来週はその松江へ出張します。


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